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ケニアに1年間住んで気づいたJICA海外協力隊の難しさとは。

派遣中,青年海外協力隊派遣中,青年海外協力隊

<ケニア生活375日目>
Chamgei!
こんにちは、てらぼー(@terabow42)です!

てらぼーの旅ブログ

JICA海外協力隊としてケニアに来てから、ついに1年が経過しました!

訓練時からずっと書いてきたブログも無事続けることができています。いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます!

この節目に一年間の活動を振り返り、自分なりに感じたことを書き残しておきたいと思い執筆しています。ぜひお付き合いください。

1年間住んだケニアという国

パンデミックの影響でほぼ全員がマスクを着用していた1年前、派遣前訓練を終えた私は大きな期待を持って成田空港を飛び立ちました。初めてアフリカ大陸に足を踏み入れるという、自分にとっての大きな変化にも関わらず、不思議と不安がなかったことを覚えています。

開発途上国と呼ばれる国も含め、海外渡航経験が人並みにはあったことから、すぐに海外生活に馴染めるだろうという謎の自信がありました。英語圏であることや、アフリカの中でもある程度発展している国だという事前情報が、ある程度私を安心させていたのだと思います。

ドバイ国際空港での様子
乗り継ぎした空港

しかし、このケニアという国はこれまで行った20か国と比べても、比較にならないほど奇想天外な国でした。そして、そのどれもが好きになれないようなものばかりだったのです。

まず到着直後に驚いたのは、想像以上の貧しさでした。渡航前は、インターネット上の知識や渡航経験がある人々からの話を基に、「ケニアは東アフリカで最も存在感がある国」とか「首都ナイロビは大都会」とか、そんなイメージを抱いていました。

しかし実際に自分の目を通して見てみると、ナイロビのビル群は大都市というにはあまりにもスカスカだし、人々はボロボロの服を着て粗末な食事を取っていました。東南アジアや中米の開発途上国の首都をイメージしていましたが、そのうちのどの都市よりも明らかに発展が遅れていたのです。田舎より都会派の私にとって、「首都がここまで発展していないなら、私の任地はどうなってしまうのだろう」と不安に駆られたのを覚えています。

ナイロビJICA事務所からの景色
ナイロビの様子

実際に任地で活動が始まると、その悪い予感は的中しました。当初はあまりの不便さと貧しさに、「どうやってここで2年近くも生き延びれるのだろう」と頭を抱えていました。自分の想像力の欠如を思い知ったと同時に、これまで何万人ものOVがこの環境で生き抜いてきたことに尊敬の念を抱きました。

今でこそ慣れましたが、ケニアの田舎生活はこんな感じです↓

感じた不便さ詳細
生活インフラの脆弱さ大雨等の影響で頻繁に停電する。地域によっては断水もある。インターネットは非常に低速。
食生活の貧しさ食材や料理の種類が圧倒的に少ない。素材の質が低いため、自炊しても満足度が少ない。
不衛生な公衆衛生公共のトイレや洗面は常に汚い。レストランやホテルも虫が多く、清潔とは言えない。
常に麻痺した交通網舗装された道路が少なく、あっても穴がぼこぼこ開いていたり、段差があったりする。車線が基本的に少ないので、常に渋滞している。
腐敗した政治政府はもちろん、地方自治体や会社・警察でも賄賂が蔓延っていて、払えなければ仕事を得られなかったり、不当に拘束されたりする。
娯楽の少なさ休日にやることと言えば、テレビを見るか、農作業をするか、ビリヤード場に行くくらいである。
交通機関の不便さ鉄道はおろかバスすらほとんどない。あるのは人権を度外視するほどまでに人を詰め込む乗り合いバンのマタツか、安全上禁止されているバイクタクシーだけ。
工業の弱さ工業力が皆無なので、工業製品は最低なクオリティにも関わらず、日本の3~5倍の値段がする。
教育水準の低さそもそも金銭的余裕がなければ学校に通えない。また、教育現場は日本ほど機能していない。そのため、大人でも一般常識や教養が不足している。
倫理観の欠如外国の情報が少ないため、考え方が閉鎖的かつ排他的。特に外国人に対しては差別的で、常に金や物を要求したり、値段を吊り上げる。

これまでに貧しいと言われる国を訪れたことはあったものの、ケニアはレベルが違いました。毎日の食べるものにすら困っている国というのはここまで酷いモノなのかと痛感したと同時に、同じ地球上にここまで辛い生活を強いられる人々が実在することを知らなかった自分が恥ずかしくなりました。

特にヒシヒシと痛感したのは、貧しさというものが人の優しさに直結するということ。もちろん全員がそうではないですが、多くのケニアの人はあまりの貧しさに外国人を金づるとしか見ておらず、非常に卑屈。たまに何か自分に対して親切にしてくれたなと感じても、その数秒後には金や物を要求してきます。

カプサベットの景色
任地の家の周りの様子

ただ、私がどうしてもそうした人々を心から恨めないのは、こういう背景に先進国が彼らにしてきた歴史が絡んでいると感じるからです。詳細は省きますが、ケニアは植民地時代に分割統治され搾取され続けてきた時代があります。

それが原因で今でも部族間の衝突があったり、植民地時代に持ち込まれた食生活が健康被害を生んでいたり、インフラが脆弱であったりするのです。文字面だけ見ても日本の方にはイメージしづらいと思いますが、ケニアに一年も住んでいると、その影響は毎日のように肌で感じることになります。

だからこの不便さは彼らにとって日常であり、ケニアにとっては私が異常です。先進国の人間が上から目線で、彼らに文句を言ったり強制するのは甚だ失礼な行為であり、私としては必死で生活に馴染めるように生きてきました。不思議とそうしたマインドでいると、「ケニアだから仕方ない」と思えて慣れてくるし、なんなら楽しめるようになると気づくこともできました。

キクユ(Kikuyu)のマタツステージ
ケニアのマタツステージ

一方で、ケニアにはもちろん良いところもあります。特に気候は最高です。私は大の暑がりなので、日本の夏は気温が高いし、冬は暖房が暑くて、常に体調が良くありませんでした。ただ、ケニアに来てからはそういった体調不良がほとんどなくなりました。とはいっても、気候が良いのは標高が1,800m以上の場所のみでほんの一部です。赤道直下なので、それ以外の場所は常に暑くマラリアが蔓延しています。

良いところ詳細
気候が良い
(ケニアの一部地域のみ)
一年を通して過ごしやすい気温で、適度な降水量がある。
コーヒーが絶品恵まれた気候を活かして、多くの地域でコーヒー栽培が行われており、ケニア産コーヒーは特有のフルーティな味わいを楽しめる。

さらに、他の日本人はよくこんなところもケニアの好きな部分として挙げています。魅力は意外にもたくさんあるので、日本人の中にもケニアがかなり好きになる人もいます。(逆に言うと、登山も動物も田舎もフルーツも嫌いな私だからこそ、こんなに馴染めないのかもしれません…笑)

JICA海外協力隊としての1年間

いくらケニアが好きになれなくても、活動さえうまくいっていれば良いという当初の希望は、早々に打ち砕かれました。私の要請内容はコンピュータ技術隊員として、上下水道会社の無収水率削減に貢献することです。しかし、結論から言うとこの一年全く貢献はできていません。

活動当初、私は2つを軸に計画を立てました。一つは、ICT部門の定常業務の効率化。二つ目はGIS(地理情報システム)を用いた、水道インフラ可視化のための水道配管地図作成でした。

KANAWASCO_オフィス
配属先の水道会社

一つ目に関しては、定常業務の多くが手作業だったこともあり、ワークフローを標準化したりツールを自動化することで早々に着手することができました。最初は業務時間が圧倒的に少なくなり、作業も簡単になったことで驚かれたし、感謝もされました。

ただ、問題はここからでした。同僚たちは最初こそ私の指示通りに作業をしたものの、以降は古いやり方に戻してしまったのです。その理由は、単純に「新しい業務を覚えることが面倒」というものでした。こうした背景にはケニア特有の根本原因があることに気づきました。

<根本原因>

  • 業務時間や人員に余裕があり、業務の効率化があまり求められていない。
  • 就職や昇進は賄賂額や学歴・コネクションで決まるため、個人のスキルが上がっても利益がなく、モチベーションがない。
  • プライドが高く、外国人に指示を受けたくない。または自分が外国人より能力が低いことを認めたくない。

いくらボランティアがあれこれ言ったところで、社会構造や会社に問題がある以上、強制させても意味がありません。結局未だに技術移転ができないまま、私の作った新業務のツールはひっそりと会社PCのフォルダ内に保存されています…。

ケニアでのJICA海外協力隊活動の様子

二つ目のGISは一向に活動を開始することができませんでした。理由は、会社からGIS活動を開始する許可が一方的に降りなかったため。当初は同僚がどういう人たちなのかを理解していなかったため、ある程度指示には従っていました。

時期状況
赴任当初GPS機器が壊れており、注文した新しい機器が到着するまではICT業務に専念するように指示される。
赴任1か月新しいプロジェクトが動いており、その兼ね合いでGISの活動にリソースを割り当てられないのでICT業務に専念するように指示される。
赴任4カ月GIS担当者の雇用契約が切れたため、再契約するまでICT業務に専念するように指示される。
赴任9カ月旧GIS担当者に再契約の意思はなく、新たな担当者を採用するまではICT業務に専念するように指示される。

一つ目の活動である業務効率化はそんなに時間がかかるわけでもないので、数カ月もするとかなり時間を持て余すようになりました。定期的にGISをいつ始めることができるのかを同僚に聞いていましたが、同じようなことを毎回言われるので、しばらくは真面目に待っていました。今思えば、こんなこと信じるんじゃなかったな~と後悔しています。

結局、11月にGIS担当者が戻ってこないことが分かってからは、やっと同僚に活動を開始する意思がないことに気づきました。そして、自分で古い担当者と連絡を取り合い、どうにか前任者が残した作成途中のデータだけ取得することができました。それからは会社の待機指示は無視して、勝手に地図作成を進めています。

GISで作成した水道配管地図
作成している地図

本来は座標情報をGPS機器で取得する必要がありますが、車を出してくれるわけでもないし、今から同じ方法を取っていても間に合わないので、勝手に検針員を部屋に呼んで、地図を見ながら直接配管やメーターの位置をマッピングしています。最初からこうしていたらな~と、ケニア人を信頼してしまった自分を憎みますが、そんなことを言っていても仕方ないので地道に進めています。

未だに検針員以外は誰も助けてくれないし、私がいなくなったらどうせこの地図もゴミになるんだろうなと思うとやりきれないことは多いですが、何もやらないのは来た意味が全くないし、今は落としどころはあまり考えずに進めているところです。

検針員とのGIS地図作成の様子

今後の活動でやっていきたいこと

結局のところ、JICA海外協力隊はあくまでボランティアなのでやることは自由です。だから、企業のプロジェクトのように定点評価することはないし、JICAが配属先に詳細な指示を出すこともありません。結局、任期期間に活動を頑張ろうが、職場に行かずに遊びまくろうが、JICA的にはどうでもよいことです。

だから、JICA海外協力隊の意義が配属先に伝わっていることは非常に稀で、私の会社は「日本のボランティアを受け入れてあげている」、「JICAとコネクションを保つために、期間中いてくれさえいれば良い」と考えています。実際に、JICAのVC(ボランティアコーディネーター)に任地へ来てもらい、「活動を始めてくれないなら、任期を短縮する」と伝えたことがありますが、その時ばかりは会社から思いとどまるよう必死に説得されました。ただ、話し合いの場ではVCに良い顔して「活動を始める」と宣言したものの、次の日にはすっかりその話を反故にされてしまいました。

上下水道会社_日本との繋がり

正直なところ、ケニアの会社員というのは、日本の一般企業から見れば驚くほどスキルや知識は乏しいです。そんな状況の中、会社としてはほぼコストゼロで会社を良くするチャンスにも関わらず、日本から来た技術を持った人材を有効活用しようとする気はあまり見受けられません。

私としては投資対効果を度外視したこんな適当な事業に莫大なODA予算がかけられていることに対して怒りさえ覚えます。特にこの派遣事業の制度上な問題の中には、JICAと各配属先のコミュニケーションさえ取れば解決できそうなこともあるので、せっかくお金をかけるならそれくらいやればよいのにと思うことは多々あります。結局のところ営利企業ではないので、組織的にも古くから続くこの事業も時代遅れなんだろうなと思います。

KANAWASCO_浄水場

彼らの利益になるようなことを必死で作っても、どうせ使われなくなるんだろうなと思うとモチベーションを保つのはかなり難しいですが、自分で選んだ道なので最後までは何とかやり切ろうと考えています。また、私が任期を全うすることで外交上のメリットや長期的な潜在効果はあるかもしれないので、全く無意味だとも思いません。

幸い、現職参加の私にとって残りの期間は数カ月。何とか活動を形にするにも、生活的な我慢をするにも、丁度良い期間だと感じています。また、友達が日本から来てくれたり、同期隊員たちとの楽しみな予定もあったりするので、何とかやっていけるかな…と思っています。とりあえずやり切ったと思えるところまで頑張って、帰国してから気持ちよく日本の友人と会ったり、ケニア料理以外の美味しい料理を食べたいです…!!

カプサベットタウンの様子

以上、長文に付き合っていただきありがとうございました!!では、Kwa heri!!!

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