恋愛観が異なるアフリカの地で結婚について考える
<コラム第5回:恋愛観が異なるアフリカの地で結婚について考える>
ケニアに住んでいると「結婚はまだなのか?」とか「ケニアで彼女は作らないのか?」とか、余計なお世話だと思うようなことをケニア人から頻繁に言われる。まだ結婚する気がないことや日本に彼女がいることを話しても、「結婚しないなんて良くない」とか「ケニアで彼女いないなんてつまらないじゃないか」と言って、こちらの意図なんて理解しようとしない。
恋愛観に限らず、彼らが他人の意見を理解する気がないことは言うまでもないのだが、このテーマに関しては特に固定観念にガチガチに縛られているように感じる。中には現代の倫理観では考えられないような価値観もあり、日本人とは一生分かり合えないだろうなと思うこともある。
今回はそんなケニアの恋愛事情について考えてみたい。
ケニアの結婚事情
貧困国では初婚年齢が低いと思われがちであるが、ケニアでは意外にも25~30歳くらいで結婚する人が多い。確かに児童婚の課題も残ってはいるが、社会では「安定した職に就いてから結婚する」という価値感が浸透してきているように感じる。
出生率は近年減少傾向にあるものの、2024年時点で約3.3を保っている。周りを見ると、必ずしも結婚→出産の順序ではないことが多く、結婚式には数人の子どもが参列していることも多い。やはり日本に比べて、子供の数は多いように感じる。
一方で、都市部と農村部の格差が酷いケニアでは恋愛・結婚における価値観の差も大きい。貧しい農村部では人口のほとんどが小作農として生計を立てており、労働力のために夫婦は多くの子どもを産む。逆に都市部では、先進国と同じような価値観が広がっており、首都ナイロビの出生率は約2.7と田舎とは大きな差がある。
マサイ族の特徴としてよく知られている一夫多妻制は、現在のケニアでも認められている。確かに、高齢者には複数の妻を抱える人も少なくないように感じるが、現役世代でこうしたケースは稀である。大学を出ても就職が難しいケニア社会では、高額の出費となる結婚を複数回できる高所得者は多く存在しないし、不倫や浮気という考え方が社会に浸透してきていることも理由の1つだろう。
結婚の作法も部族や宗教によって異なるようだが、基本的には男性側が女性側に家畜やお金を贈与することが通例となっている。中流階級の同僚の例だと、妻側に牛2頭ヤギ2頭を送っていた。贈答品の種類や数は両家の交渉によって決まるが、交渉がまとまらずに破談となることも少なくないようである。
結婚式は両家の実家で1回ずつ行われることが多く、友人や家族を大勢呼んで開催される。結婚式費用はケニアでは大金(約15~20万円)がかかるようなので、開催前にwhatsAppでお得意のファンドレイジングが行われる。各参加者から約100~2,000円ほどを集金し、できるだけ豪華な挙式が執り行われるのである。なお、日本のような高額なご祝儀はない。
結婚後は、両親の家から離れて新たな家に住むことが多いが、男性側の実家には家族全員で頻繁に帰省する。余程離れていない限り、週末は必ず帰省して、実家の農業などを手伝う。一方で、女性側の実家に帰省することはほとんどないらしく、あっても年に一回が通例のようだ。
ケニアの恋愛事情
高校まで完全に男子校・女子高に分かれているケニアでは、大学が恋愛の場になることが多いようだ。他にもナイトクラブやバーなどで出会ったカップルも多いし、ナンパも一種の出会いの方法となっている。都市部ではマッチングアプリを使う人も増えてきているようだ。
基本的にケニアの女性が自分から何かアプローチをすることはない。同僚に聞いたところ、女性は良い男性を見つけたとしても、待ちの姿勢が基本なのだそう。一方で男性は気になる人がいればなりふり構わず声をかける。男性のスタンスとしては「恋愛に発展したらラッキー」くらいの感覚らしい。女性もそこまで彼らをおざなりに扱うことはないので、文化的には割と認められているのだと思う。
こうした背景から、ケニアの女性隊員は(日本で言う)セクハラに遭遇しやすい。「結婚してるの?」とか「彼氏はいるの?」とか聞かれることは日常茶飯事だし、結婚していることを伝えても「ケニアにはいないんだからいいじゃないか」と迫られることもあるらしい。中には「そんなこと言っちゃうんだ…」というくらい気持ち悪い言葉で口説く人もいる。最近では「肌が白いほど美しい」という考えが浸透しつつあることもあり、なおさら外国人女性は標的になりやすいのである。
こうしてカップルとなったケニア人は、基本的に一定期間の交際・同棲を経て結婚することになる。この間に子供ができることもあるが、日本のように未婚の妊娠に批判が噴出することはない。未婚であることが原因で男性側に逃げられたシングルマザーが多いという問題もあるが、多くの場合は子供ができたとしても一緒に育て、結婚資金が貯まったら式を挙げることが多い。
余計なお世話かもしれないが、ケニアで暮らしていると、日本人目線ではどうしてもデートスポットの少なさが気になってしまう。日本のように娯楽施設や観光地は少ないし、公共交通機関もない。彼らの収入を考慮しても頻繁に遊びに行ける機会は少ないのではと思ってしまう。彼らに聞いてみると、やはり「デート」という感覚はあまりないようで、「そんなことを考えるなんてお前はロマンチストだな」と言われてしまった。2人で会ったときは、基本的にお互いの家に行き来することがほとんどのようで、年に1回一緒に旅行に行けたら良い方らしい。
ケニアの結婚・恋愛観
結婚・恋愛事情の違いから、国民一人一人が抱く恋愛観・結婚観は日本人と大きく異なるように感じる。特に一番強く感じているのは、「男・女はこうでなくてはならない」という強い固定観念である。
例えば、「家事や子育ては女性の仕事」というのはケニアでは常識のように浸透している。だから私が友人宅に行っても、男は手伝うことなくソファでくつろいでいることが多い。農村地域では、女性が洗濯や皿洗いを一日がかりで毎日こなしている姿を目にする。彼らにとっては当たり前なのだろうが、女性はこれで一生を終えてしまうのか…と悲しくなる。最近では夫が妻を手伝うという家庭も増えてきてはいるようだが、亭主関白の文化の根付き方は日本の比ではない。
このような明確な役割分担がある社会では、LGBTの権利が認められないのもある意味自然な流れなのかもしれない。もちろん宗教的な影響もあるが、ほぼすべてのケニア人はLGBTを嫌悪しており、法律でも厳格に禁止している。こうした伝統的な社会構造を破壊しかねない新しい概念は、保守的なこの国において最大の脅威なのかもしれない。
2つ目に感じているのが、恋愛においての倫理観の違いである。先述したように、男性側はあまり女性への性的アプローチをためらわない。これが、日本で言う"セクハラ"であっても気に留めないのである。
不倫や浮気に対しての考え方も異なる。もちろん人によるが、男女ともに「国が違えば、恋人がいても良い」という考えの人が多く、よく「ケニア女性を一人日本に持ち帰りなよ」とか「ケニア人の彼女作りなよ」と持ち掛けられる。(そもそもこの考え方以前に、他人の恋愛に口を出してくる無神経さが気に食わないが…笑)
この価値観には、やはり一夫多妻制の文化が影響している気がする。男性が複数の妻を抱えるというのは、つい最近までは当たり前だったことであり、今でも高齢層ではこうした家族体系が残っている。現役世代の親に複数の妻がいることを考えれば、それを見て育った子供たちがこのような考え方になるのは普通なのかもしれない。
ケニア人との恋愛はあり得るのか
私は日本にパートナーを残してケニアに来たが、ケニアに来る前は「もしめちゃくちゃ相性が良い人がいれば、なくはないよなぁ…」くらいに思っていた。ただ、今現在ははっきりと「絶対にない」と言い切れる。もちろん中には良い人もいるのだが、個人的には全くケニア人と恋愛に発展するイメージが湧かない。その理由をいくつかあげたいと思う。
価値観が違いすぎる
最も大きいのはやはり価値観の違いである。どこの国であっても、ある程度の差があるのは当然だとは思うが、ケニアは特に独自の価値観が存在している。基本的に古くからの考え方を重要視するケニア人の思考は、先進国の人々のものとはかけ離れているので、常識や教養にかなりの差があり、全く会話にならないのである。
特に結婚となれば、大きな苦労を伴うだろう。前述した通り、様々なしきたりが社会に残っているので、何も知らない外国人にとってそれらを準備するのは並大抵のことではない。男女の役割もある程度決まっているので、もしその風習に従うのであれば、日本人にとっては苦痛を伴うものになるだろう。
仮に結婚のハードルをクリアしたとして、一緒に生活することになった場合にも、互いに大きな違いに苦しむことになると思う。
ケニアに住むことになれば、頻繁に電気や水道が止まるし、治安も悪いし、道も悪い。欲しいものが簡単に手に入る場所は少ないし、娯楽もない。毎日人種差別を受けながら、医療レベルの低い国で生活していくのは、生半可な覚悟でできることではない。料理のレベルは世界最悪にも関わらず外国食材の入手は困難なので、日本人が考える最低限の生活すらままならないと思う。
一方で、ケニア人が日本に来た場合にもこの違いに同様の苦しみを味わうことになると思う。物価の高さ、英語が通じない環境、高いレベルが求められる職場、スケジュール通りに進む会議や公共交通機関、怠惰なケニア人が日本の環境に馴染めるとは全く思えない。早朝に起床して家畜の世話をし、夜9時には寝てしまうケニア人にとって、生活リズムの違いも大きなカルチャーショックを受けることになるだろう。ガチガチに固定観念に囚われている彼らがフレキシブルに他国の生活に適応するのは簡単なことではないはずだ。
他にも探せばいくらでも適応が困難な違いは出てくる。金銭感覚は全く違うだろうし、宗教観も異なる。子供ができれば、教育制度や教育方針もかなり相違が出てくるだろう。こうしたことを考えると、やはりケニア人と恋愛関係になるのはとても難しいのだろうなと考えてしまう。
見た目に惹かれない
これは完全に個人の主観なのだが、あまり見た目が好みではない。ケニアには、モデル並みのスタイルやオシャレな髪型を持つ女性がたくさんおり、綺麗な人だなと思うことはある。ただ、自分でも上手く言語化できないのだが、恋愛感情が生まれることはない。例えるなら、「花が綺麗」とかと同じ感覚なのである。
もちろん人は見た目だけではないのだが、全く見た目に惹かれないとなると、さすがに恋愛には発展しないのだと気づかされた。おそらく、子供のころから「白い肌が美しい」というルッキズムが無意識に自分自身に植え付けられていて、それが自分の価値観に影響を及ぼしているような気がする。
これはケニアでも同様で、女性は白い肌とストレートヘアーに憧れる人が多い。そのためか、肌を白くする化粧やストレートのウィッグが一部で流行している。男性も肌の白い女性に惹かれるようで、それが日本人女性がセクハラを受けやすい要因となっていることは否定できない。中には、特に肌が黒いエチオピア人やスーダン人と比較して「我々はブラウンだ」と主張するケニア人もいる。(こっちとしてはどっちでもいいのだが…)
体臭が苦手
これも完全に個人的な感想だが、ケニア人の体臭が苦手である。なんと表現したら良いのか分からないのだが、多くの人から独特な香りがする。
おそらく、毎日シャワーを浴びる習慣がないことや、女性は基本的にウィッグを付けて髪を編むので、数カ月髪を洗わないというのが関係していると思う。もしかしたら、もともとの体臭が日本人と違うということもあるかもしれない。
特に女性だと、その体臭をカモフラージュするため(?)なのか強い香水をつけている人もおり、それが逆に体臭と混ざって耐えがたい臭いになっていることもある。反対に、私の体臭も彼らとは全く違うだろうから、どう思われているか分からない。
「臭いの相性=遺伝子的な相性」みたいな都市伝説もあるが、ひょっとしたら私は遺伝子的にケニア人と合わないのかもしれない。
なんだか偉そうにも見える文章になってしまったが、あくまで私個人の意見として捉えていただきたい。実際に、ケニアに在住する日本人の中には現地の人と結婚した人もいるし、隊員で現地の人と恋愛関係に発展した例も見たことがある。(結婚となると、それはそれで手続きがかなり複雑という大変さもあるらしい…)
私に関してはケニア人と恋愛関係になるというのは絶対にないと言い切って良いと思う。だけど、ケニア人の恋愛・結婚の文化は外から見る分にはかなり興味深いので、今後もいろいろ見ていきたい。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません