ついに任期満了しました!ー離任から帰国までー
<ケニア生活終了!>
Chamgei!
こんにちは、てらぼー(@terabow42)です!
ついに!ついに!! JICA海外協力隊の任期が満了し、2年近くに及ぶケニア生活が終了しました!!
一時帰国しなかった私にとっては久しぶりの日本の生活。ケニアにはなかった美味しい食事や人の優しさに毎日触れ、便利で清潔な生活を堪能しています!
今回は、離任から帰国に至るまでの最後のケニア生活についてお届けします!
離任までにすること
帰国が近づいてくると、帰国日の約3か月前に日本行きの飛行機チケットと帰国案内が送られてきます。9月中旬帰国予定だった私は、6月中旬頃に案内を受領しました。
とはいっても、離任に際してやるべきことは直前になるまでほとんどありません。あるすれば、自分の私物(主に家具)をどう処分するか考えること。私の場合はたまたま近くに新規隊員の方が来る予定があったため、引き取っていただきました!
余った家具や不要になった物はお世話になった同僚にあげることに。ほとんどがボロボロになった服や食器類だったのですが、工業製品が恐ろしく高いケニアだからなのか、みんな喜んで貰っていきました。
最後は同僚の家に招待され、最後のケニアの家庭料理を…。呼んでくれたことはとても嬉しかったのですが、食事は相変わらずのマズさでした…。これをもう食べれないと思うと、嬉しいような悲しいようなという感覚です。
万が一仕事や旅行でケニアに再び来ることがあったとしても、私が住んでいた何もない田舎町には一生来ることはないでしょう…。空っぽの家を見ると、なんだか少し感慨深くなりました。
同僚はケニアの現実に絶望していて、なんとか海外で働く道を模索中…。いつかケニア以外でまた会えたら嬉しいです。
ケニアでは任地の出発日にボランティアコーディネーターが来てくれて、配属先で最終報告会を実施してナイロビにそのまま向かいます。
赴任した直後に植えたアボカドもこんなに大きくなりました。植えた頃が遠い昔のような気がして懐かしかったです。
▽アボカドを植えたときの記事はこちらから▽
職場を後にし、家に荷物を取りに行くと、特に仲良くしていた同僚が見送りに来てくれました。なんともケニアっぽい写真が撮れました。
派遣先では本当に多くの苦労がありました。彼らのためにも、少しでもこの国が良くなることを願うばかりです…。
離任後のナイロビ生活
ナイロビには帰国日の1週間ほど前に上京します。陸路で6時間ほどかかりますが、これも最後かと思うと少し感慨深かったです。途中のナクルで最後(?)のケニア料理を食べました。最後まで美味しくなかったです(笑)
宿泊するホテルは赴任したときに1か月ほど生活した宿と同じ。一人では間違いなく寂しかったと思いますが、幸い一緒に帰国する同期が1人いてくれたのと、新規隊員の方が研修中だったのでにぎやかでした。
日本人のイベントがかぶっていたこともあり、週末にはたくさんの隊員に会うこともできました。寂しいことがあるとすれば、隊員仲間にしばらく会えなくなることですね…。
日本では高いし、ビジネスシーンでは絶対にできないコーンロウも最後に作ってきました。とても良い感じに仕上がり、日本の友人たちの反応も上々でした(笑)
これで約600円。隊員期間中に4回ほど挑戦しましたが、もうできないと思うと少し残念です。
滞在中にやることと言えば3つだけ。どれも滞りなく終わりました。
・JICA在外事務所での最終報告
・銀行口座の解約
・大使館への表敬訪問
最終報告は、配属先やJICAに対して思ったことを全て正直に話しました。(これについては別記事で書きます。)
すると、いつもは活動に関わりのないナショナルスタッフ(現地人のJICAスタッフ)が親身に話を聞いてくれて、コメントも有益なものばかりでした。活動期間中からボランティアコーディネーターではなく、彼らに直接相談していれば状況は少しは良くなっていたのかな~と少し反省しました。
せっかくなのでキテンゲ(アフリカ布)で作ったスーツを着用。おそらくこのスーツが着られるのは、この1回限りでしょう(笑)
こうした用事以外はナイロビで会いたい人に会ったり、お土産を買いに回ったりしていました。ナイロビはちょうど天気が良い日が続いていて、とても気持ちよかったです。
大使館訪問では、数十分ではありますが大使と直接お話しする機会がありました。赴任時は同期14人と大所帯だったこともありあまり会話はできなかったのですが、今回はある程度詳しい話までさせていただきました。
大使は「ボランティアの効果も加味して派遣を再検討しなきゃいけないな~」とか「我々は国民の税金で派遣されているんだからある程度の結果は出さなきゃいけないよね」とか「ケニアが変わるには国民のマインドから変えないといけないけど難しいよね」とか、外交官のエリートでありながら現場の目線も持ち合わせている素晴らしい方でした。
なぜ外務省の方々がこうした視点を持っているのに、JICAのボランティアセクターがあんな感じなのかは不明です…。今後少しでも協力隊事業が良いものになるよう願うばかりです…。
帰国の途
帰国日に注文していたアフリカ布の服を取りに行く約束を仕立て屋としていたのですが、行ってみると半分以上が未完成…。前日までに何度もリマインドしたにも関わらず、そんな状況だったので怒りを通り越してあきれてしまいました…。
信頼していた仕立て屋だったので、悲しかったです…。最後までケニアを感じることになりました。仕方がないので作れるだけ急いで作らせて、質が低いまま何とか受け取りました。日本の友人たちに渡すお土産のクオリティが低いのはそのせいです…。受け取った方、ごめんなさい(笑)
逆に嬉しいこともありました。ケニアの協力隊有志で教育支援をしているKESTESという団体があり、私はMercyという奨学生を担当していました。その子の実家は半年で約2,000円~3,000円の収入しかない、ケニアでも最貧層の生活を送っています。
▽KESTESの記事はこちらから▽
しかし、その子の父親から感謝の印として贈り物が届いたのです。それはカレンジンの伝統的な飲み物ムルシックを入れる容器でした。この大きさだとおそらく約500円はする品ですが、月収を叩いてまで私のホテルに送り届けてくれました。
ケニア人には嫌な思いをさせられることの方が圧倒的に多いのですが、本当に感動していまいました。奨学生が夢を叶えられるよう遠くから引き続き応援します。
空港まではJICAの社用車で送迎してもらうのですが、ここでも隊員仲間が見送りに来てくれました。同期や先輩・後輩隊員には本当に恵まれたな~と心から思います。
無事に飛行機に搭乗し、一旦カタールまで向かいます。ケニアの空港やナイロビからの機内ではケニア人の民度に何度も辟易しましたが、乗り継ぎ地まで到着するとケニアの雰囲気は一切感じなくなりました。
そして、久しぶりの日本へ到着!カタールからの飛行機内はほとんどが日本人で逆に違和感がありました(笑)
それと同時に、日本人の方々の気遣いや親切さに感動…。そして、みんなが綺麗な服や靴を身につけているので、ファッションに関心をなくした私の服装が少し恥ずかしかったです…。
無事に日本に到着し、一緒に帰国した同期と久しぶりに本物の和食を堪能しました。ナイロビの日本食がゴミだったかと思うほど別物でした(笑)
日本の空港の清潔さや便利さに圧倒され、何もかもが違い過ぎて「1年半のケニア生活が夢だったんじゃないか…」と錯覚するほどでした。しばらくは逆カルチャーショックに馴染めるよう頑張りたいと思います…!
では、Kwa heri!!!
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