”アフリカが貧しい”のは本当か。
<コラム第2回:"アフリカが貧しい"のは本当か。>
「アフリカには食べたくても食べれない子がいるんだから…」
子供の頃に好き嫌いをして、こんなことを言われた経験がある人は多いのではないだろうか。日本では、食べ残しをしたときに言われる定番のフレーズと言っても良いかもしれない。
しかし、この言葉に本当に根拠はあるのだろうか。この言葉を発したほとんどの人は、貧困率のデータや飢えに苦しむ子供を見たことはないだろう。このように、"アフリカは貧しい"といったステレオタイプなイメージが世間には蔓延している。
実際のところ、世界銀行が定義する1.9ドル未満/1日で生活する絶対的貧困層の約40%はサブサハラ地域に集中していると言われているし、本質的な国の豊かさを示す人間開発指数(HDI)を見ても多くのアフリカの国々が下位に沈んでいる。だから、アフリカが貧しいという偏見はあながち間違っていないようにも見える。
一方で少しアフリカに触れようとすると、SNS等で「アフリカの経済発展は目覚ましい」とか「アフリカは世間が思っているほど貧しくない」とか、そうしたポジティブな情報を目にすることも多い。確かにいろんなデータを見てみると、アフリカ内には経済成長率が著しい国や貧困率が大幅に改善している国も存在する。
果たして「アフリカは貧しい」というイメージは本当なのだろうか。ケニアでJICA海外協力隊をしている私が、あえてデータなどは用いずに、生活の中で感じたことを基に考えてみたい。
貧困とは
前提として、アフリカと言っても私はケニアにしか住んでおらず、その中でも比較的豊かと言われる南半分の地域にしか足を運んだことがない。そのため、その地域で見たことのみを記述することを事前に断っておきたい。
その上で、まず「貧困」とは何かと言うことを考えたい。私自身、ケニアに来る前に「アフリカは貧しい」という考えを漠然と持っていた一人だった。そのとき、持っていたイメージは「食べるものがない」とか「学校に通えない」とか、そんな感じだった。
しかしケニアに来てみると、イメージ通りだったこともあれば、そうでなかったこともある。貧困と言ってもいろんな側面があり、それぞれ度合いが異なるのである。そのため、各側面からケニアの貧困について見ていきたいと思う。
1つの例として、国連開発計画(UNDP)が2023年にリリースした世界多次元貧困指数(MPI)では、大きく分けて健康・教育・生活水準の3つを設定している。これが全てではないが、ひとまずこれを基にケニアの貧困を考えていきたい。
健康 | 栄養 |
子供の死 | |
教育 | 就学年数 |
就学率 | |
生活水準 | 炊事用燃料 |
衛生 | |
飲料水 | |
電気 | |
住宅 | |
資産 |
健康面の貧困
アフリカが貧しいと考える背景には、栄養不足が原因の腹水の子供たちや、汚い水を飲む子供たちの写真や映像が出回っているからかもしれない。そうした、食事や医療に関する健康面の貧しさを想像する人も多いだろう。
まず食事に関して言うと、ケニアに来て食料不足を感じたことはない。ケニアは世界有数の農業大国であり、食料は簡単に手に入るからだ。特にケニアの南半分は気候に恵まれており、主食となるトウモロコシを始め、野菜や肉が豊富に手に入る。
アフリカと聞くと、じりじりと日差しが照り付ける乾燥した大地とそれに伴う干ばつをイメージする人も多いかもしれないが、実のところアフリカ大陸はケニアに限らず豊かな土地なのである。だから、国産の食料は日本と比べても安価に手に入るし、種類も豊富である。個人的な感想にはなるが、全て手作業かつ無農薬で作られた野菜の味もかなり良い。
ただ、栄養面を考慮すると話は別である。実際のところ、ケニアの糖尿病患者は総人口の5%いるとされており、死因原因としても上位にランキングする。根本原因は植民地時代に持ち込まれたとされるメイズからできた主食のウガリとも言われているし、油っぽくバランスの悪い現地食が影響しているとも言われている。とにかく、豊富な食料があるとしても栄養面で貧しさが残っているのは事実なのかもしれない。
また、豊富な食料があると言っても、実際に毎日3食食べれない人がいるのも事実である。十分な食事を取ることができない人というのは、私が想像している以上に多いと感じた。ケニア人の多くは自身の畑を持っているが、当然全ての食材を育てているわけではないし、売っても現金収入は少ない。
ケニアは工業が弱いため、仕事はかなり少なく、良い大学を出ても仕事にありつけるかは分からない。運よく仕事を得ても、給料は安い(任地の会社の職員の給料は約15,000円~約50,000円がほとんど)し、頻繁に給料未払いが発生する。私の同僚はケニアの中では生活水準が高い方だと思うが、昼食代を捻出できなくて食事を抜くことは日常茶飯事である。
街を歩いているとケニア人が外国人に対して金や食べ物をねだってくることは毎日のようにあるし、同僚でさえもそうした失礼な態度を取ってくる。こうした金銭的な貧しさが栄養面の貧しさに影響していることは間違いないだろう。
また医療面に関しても、日本に比べると圧倒的に貧しいと感じる。日本の地方に必ずあるような大きな病院は、ケニアでは大都市にしか存在しないと言われている。病院配属の同期隊員も、病院の環境は先進国と比べてもかなり劣悪だと話していた。実際に私も見学したことがあるが、比較的レベルの高い病院にも関わらず、病棟には入院患者がパンパンに押し込まれていたし、床には無数の注射針が散乱していた。
さらに、そんな医療でさえもケニア人たちがいつでも受けられるとは限らない。なぜなら、ケニアの医療費は前払い制だからだ。保険制度も日本のように充実しているわけではないため、怪我や病気を負っても病院に行けない人は想像以上に多い。だから、医療費が必要になった場合、ケニア人は「ハランベー(Harambee)」という文化で知り合いから少しずつ寄付を募ってお金を捻出することも多い。
実際に診察を受けてみると、大病院の医者や設備レベルは決して低いわけではない。ただ、医療を受けるハードルが高いという点においては、ケニアの医療面は貧しいと言えるだろう。
教育面の貧困
現在のケニアの教育制度は初等教育8年-中等教育4年-高等教育4年となっており、初等教育が義務教育とされている。新教育課程(CBC)に移行中であり、新課程の制度は幼稚園(2年)-小学校(6年)-中学校(3年)-高校(3年)-大学(3年)となる。初等教育・中等教育は無償化されており、義務教育の修了率は80%を超えている。こう見ると想像しているよりは子供たちがしっかりと学校に通えていると思うかもしれない。
しかし、実態は異なることが多い。無償化と言っても、セカンダリースクールでは学費を徴収する学校がほとんどというのが実情で、支払日にお金を持っていなければ生徒は問答無用で帰らされる。中等教育や高等教育は生徒のテストの点数によって、相当レベルの学校が振り分けられるが、優秀なスコアを持っていたとしてもお金がなければ学校には通えないのである。中には現金を持っていないけど子供を学校に通わせたくて、その代わりに家畜をそのまま学校に持ってくる親もいるくらいだ。(当然受理してもらえない)
また、学校設備が足りないという現実もある。学校の校庭には丸太で作られたゴールポストがあるのは、ケニアでは見慣れた光景だ。電球がないため、日の光だけで授業する教室もある。体育や音楽などの特別授業などは、道具などが足りないため知識のみを板書する形態をとることもあるようだ。また、そもそもこうした教科の教員数が足りないということもあるらしい。
そんな学校でどんな教育がされているかというと、日本に比べてレベルが低いと言わざるを得ない現実がある。学校の先生が無断で授業を欠席したり、教科書を板書に移すだけだったり、体罰が横行していたり…。実践的に学ぶ場が少なく、不真面目な生徒や出来損ないに対しては暴力で押さえつける。
そして何より、学校を出ても仕事を得ることが難しいという現実もある。ケニアはアフリカ諸国の中でも汚職が最も酷いと言われている国の一つであり、就職においても最も必要な要素は知識や経験ではなく、賄賂と家柄である。だから、裕福なものはどんどん豊かになるし、貧しいものはどんどん貧しくなっていく。
こんな感じなので、大人になっても常識的な知識すら知らないケニア人は想像よりもずっと多い。大学を卒業している人ですら、外国の文化を全く知らないし、簡単な暗算すらできないことも多々ある。自主的に学ぶという習慣がないので、仕事においても自ら率先して動くということはないし、罰が意識に刷り込まれているので失敗をかなり恐れている。
だから、ケニア人と仕事をするというのはかなり難しい。そもそも何か新しいことを学ぼうとする意志はないので、何かを教えようとしてもモチベーションが不足しているし、仕事を振ってもベースの知識が全くないので全て1から教えなくてはならない。以前、同僚にExcel関数のvlookupを教えるだけで4時間かかったこともある。しかも、怒られることを恐れて平気で嘘をつくし、終わった仕事の質も低い。
ケニアの工業が弱いと言われるのも、こうした背景を見ると納得である。こうした状況が国の発展を妨げているという事実がある限り、ケニアの教育面が貧しいということは間違いないだろう。
生活水準においての貧困
生活においては、人によってかなりの差がある。ナイロビでは日本のタワーマンションのような建物に住む人もいるし、地方では未だに土壁の家に住む人もいる。ただ、富裕層は全体の中ではほんの一部であり、大部分の人は先進国と比べて貧しい生活を送っている。
例えば、生活インフラに関しては普及率はかなり低いと言える。水道は比較的大きな都市の周辺地域に限られており、田舎に行くと雨水を使っていたり、川に水を汲みに行く光景を目にする。中には、茶色く濁った汚い川の水を洗濯に使っている人も多い。電気やインターネットは多くの家庭に供給されているが、頻繁に停電や障害が発生する。
当然電気が安定していない地域では、電化製品は使えない。そもそも、工業が弱いため工業製品は日本の数倍の値段がする。だから、彼らが保持しているのはテレビとスピーカーくらいで、冷蔵庫や洗濯機はほとんどの家庭に置かれていない。そのため、田舎では未だに女性が家事をして一日を終える光景をよく目にする。
未だに穴を掘っただけのボットントイレを多く見るし、ゴミ処理場はほとんどなく各家庭で焼却処理している場合が多い。そのため、衛生面も良いとは言えない。事実、日本ではすでに見なくなった数多くの感染症がケニアでは蔓延している。
資産という点に関しては、最も高価なものが家畜と土地である。これらは結婚時の取引の対象になるほど彼らにとっては重要である。投資をしていたり、金融資産を持っているケニア人は見たことがない。牛やヤギは一頭あたり数千円から数万円で取引されており、10頭保有していれば多い方なので、日本人の感覚からすれば人々の保有資産額は決して多いとは言えないだろう。
私が子供の頃に植え付けられていたアフリカのイメージは、何キロも先まで汚い水を汲みに行き、日々食べ物に飢え、全て手作業で家事をこなす生活だった。ただ、それは漠然としたイメージであり、ある意味フィクションと言うか、テレビや本の中で見るドキュメンタリーでフォーカスしている部分のみだと思っていた。しかし、実際に現地に来てみると、想像以上にこうしたイメージ通りの人々が多いと気づかされた。だから、日本人がアフリカに来ると、こうした生活面で最も貧しさを感じるのかもしれない。
果たしてケニアは貧しいのか
結論、私が見たケニアは想像していたイメージよりも圧倒的に貧しかった。まさか、IT技術が発展した現代において、ここまで時代に取り残されている地域があるとは夢にも思っていなかった。ケニアはサブサハラの中では発展している方だと言われているが、それでも私が今まで見てきたアジアや中米の発展途上国とは比べ物にならないくらい発展が遅れていると感じる。
ただ、1つ誤算というか想像と違ったのは、現地の彼らにとってはこうした生活が当たり前であり、ケニア人がこれを貧しいとか不幸だと感じていないことである。ケニア人は必ずしも「発展することが良いこと」だと思っておらず、不便であってもこうした自然豊かでゆっくりと時間が流れる環境を愛している。不便さの中でも人々は明るさを絶やさず、何も娯楽がない環境でも日々楽しく暮らしているように見える。
こうして彼らの生活を見ていると、確かに経済的に貧しいことは間違いないのかもしれないが、そもそも貧困とは何だろうと考えさせられる。確かにケニア人たちは大体お金や食べ物の話をずっとしているが、年中忙しい日々を送る日本人よりも笑顔が多い気がする。そういう面では、彼らの心は我々より満たされており、十分幸せなのかもしれない…。
▽次回の記事はこちらから▽
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