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ケニア人と仕事するのは想像を絶するほど難しい

2024年8月13日コラム,青年海外協力隊コラム,青年海外協力隊

<コラム第7回:ケニア人と仕事するのは想像を絶するほど難しい>

「海外で働く」ことは一種の憧れというのを感じる一方で、それなりの苦労があることは理解していた。世界を見渡しても、1つとして同じ文化の国がないのは当たり前のことで、それが他人種とのコミュニケーションを難しくするのは想像に難くない。

私自身、以前から漠然と海外で働くことを夢見ていた一人だった。JICA海外協力隊を志願したのも、将来のために語学力を身につけたり、海外での経験を積みたいと思ったからだ。

海外旅行が趣味の私は、人並みに外国を旅することで、「自分は海外生活に馴染むことが得意だ」と感じていた。語学が堪能でなくても外国人とはすぐに仲良くなれたし、数カ月日本に戻らなくてもホームシックになることはなかったからだ。

しかし、今となっては言うまでもないが、「旅行」と「仕事」は完全に別物だった。旅行は、いくらホームステイや現地寮に入ったところで、責任の伴わない楽しいだけの滞在だった。だから、会話も互いに好きなことだけ話していればいいし、合わない人がいればすぐに切り捨てればよかったのだ。

しかし、仕事となると生きてきた背景が全く違う人と物事を前に進めなくてはならない。これは、よく考えれば同じ日本人同士でも簡単なことではないのに、遠く離れたアフリカの地でケニア人と仕事をするなんて相当な難易度であることは当然のことなのだ。

とはいえ、ケニアで働くことができたこの一年半については全く後悔していない。それどころか、日本では起こりえないであろう、意味不明な出来事を毎日楽しんでいる自分もいた。泣きたくなるほどの苦労はたくさんあったにも関わらず、私は帰国してからもまた海外で働きたいと考えている。

任期である1年半が終わろうとしている今、そんな楽しくも大変だったケニアでの経験についてここに残しておきたいと思う。

ケニア人との仕事の様子
水道メーターの取り付けに苦戦し、オフィスのほとんどの職員が仕事を放り投げて作業にあたることもあった。(人数が多いからといって助けになるわけではないのに…)

語学の違い

やはり別のネイティブ言語を持つ者同士で仕事をするのは難しい。旅行中の日常会話レベルでは間違いや不明点があっても訂正すれば良いし、伝わらなくても大きなダメージはない。しかし、仕事において話ができないと、当たり前だが何事も前に進まないのである。

特にこの仕事においては、ほとんどの場面で互いに第一言語ではない英語でコミュニケーションを取っていた。いくら英語が得意なケニア人でも、彼らにとっては現地語・スワヒリ語に続く第3言語である。しかも、アメリカ英語で教育されてきた日本人と異なり、彼らの英語はイギリス英語だ。

大した違いには見えないかもしれないが、意外とふとした時に苦労を伴うことがあった。発音の認識がそれぞれ異なっていたり、英語での会話中に意図せずにスワヒリ語の単語が混ざっていたり、それぞれの国特有のスラングが伝わらなかったり…。こうした理由から、お互いが伝えたいことをそれぞれが100%理解できることはあまりなかった。

また、ケニア人特有の言語事情も絡んでくる。英語話者が多いケニアでもやはり優先度は現地語(部族語)→スワヒリ語→英語の順であり、彼らは優先度が高い言語を話す人ほど心を許す傾向にある。

私は訓練所で難易度の低いスワヒリ語を3カ月学習したこともあり、日常会話には困らないレベルにはなったが、やはりビジネスの場となるとそこまでのレベルには到達できていない。

だから同僚同士が交わす会話を完全に理解できないことや、難しい局面で英語のみを使用していたことが、多少なりとも現地民の信頼度に影響していたことは言うまでもない。

もちろん言語がすべてではないが、海外で活躍したいのであれば各国のネイティブ言語を習得することが成功への道であることに気づかされた。

ナイロビの語学学校
JICA海外協力隊員は現地の語学を学習する機会を与えられる

慣習の違い

ケニアのビジネス現場には独特の慣習があった。基本的に組織構造はトップダウンで、下の者が上のものに意見するというのは許されない。だから、社長の指示が明らかに間違っている場合でも従わなくてはならないのである。

ミーティングをしても必ず一番偉い役職が最後に入室して最初に出ていくし、とても偉そうに話す。参加者はいつものやる気のなさがどこに行ったのかと思うほど、真剣に話を聞く(フリをする)ように見える。「自分の意見を言わない者に価値がない」という環境で働いてきた私にとって、受け身で抑制された現場にはとても嫌悪感を抱いたが、どうすることもできなかった。

これはおそらく「大学を出ても仕事がない」というケニア社会特有の状況に原因がある。何かしくじればクビになる可能性が高まる環境では、上司の機嫌を取ることや失敗しないことが何よりも重要なのである。

さらに汚職が蔓延しているこの国ではなおさらコネや賄賂額が重要になってくる。雇われ側がこの状況で保守的かつ従順になっていくのは仕方のないことかもしれない。

これ以外にも、朝に全員が仕事を止めて砂糖がたっぷり入ったミルクティーを飲むティータイムの習慣があったり、関係ない人まで会議に呼んだり、終わりの見えない議論をダラダラ続けたり…。日本では非効率だと切り捨てられるような慣習がたくさん残っていた。

おそらく働き方改革なんて言葉が流行る前は日本もこんな感じだったのだろう。しかし、大方の改革がされた後に社会人になった私にとって、その非効率な仕事ぶりは見るに堪えないものだった。

KANAWASCO_ナンディティー
毎朝全職員に配られるミルクティー。信じられないほど甘いため、私は飲めなかった。

教養・常識の違い

国際協力界隈で教育現場の話題が尽きないのは言うまでもないが、意外とビジネス現場において途上国の教育問題が語られることはない。

しかし、考えてみれば当然の事なのだが、教育レベルが低い国で育った大人たちは当たり前のように教養がない。それも、日本で言う「窓際族」とか「モンスター新人」とかの無能さとはレベルが違うのである。

例えば、ITの専門学校を出ていてもExcelの関数を1つも知らなかったり、大学で地理学を先行していたのにGISを扱えなかったりする。それどころか、同僚の中には掛け算の九九があやふやだったり、本気で陰謀論なんかを語っちゃったりする者までいるのである。

そんな教養レベルなのだから、顧客の水道メーターの地図を紙に手書きで描いたり、分析レポートの計算を手動で行ったりする。そのため、ケニアの会社のデータなんて、日本であればトップニュースになるほどの監査上の問題がいくつもある。しかし、それでも問題にならないのは管理側にもこうした問題を見抜けるような優秀な人材がいないからなのだろう。

これが私にとってどう大変なのかというと、技術移転に膨大な時間と労力がかかるのである。彼らの知識レベルは、おそらく日本人が想像しているレベルをはるかに超えている。

例えば、ExcelのVlookUp関数を教えようとするとまずは「関数とは何か」から説明しなくてはならない。「レポートをPDF化して印刷しておいて」という指示の中には、「レポートの開き方」「PDFの説明」「PDF化の方法」「コピー機の使い方の説明」「印刷方法」といった細かい常識を逐一教えなくてはならないのである。

最初はこんなレベルでどうやって会社を運営しているのか分からなかったが、結局最後まで分からなかった。全てはマニュアルで行われ、一つ一つの作業に日本の何十倍も時間をかけているが、カウンターパートも同レベルだからなのか不思議と何とかなっているように見える。

同僚に教える様子
同僚に何かを教えるには、日本の何倍も時間がかかる

モチベーションの違い

常識や教養が低いにもかかわらず、彼らの仕事に対するモチベーションが低いことが、協力隊を悩ませている大きな原因の一つである。彼らは積極的に学ぼうとはせず、こちらから働きかけても大概は受け流される。

理由の一つは、成果が重視されないからだろう。ケニアの給与形態は官民ともに固定給が基本で、評価制度はない。昇給するにしても、賄賂額やコネクションが最も重要なので、スキルの向上は必要ないのである。残業代は支給されないので、自ら進んで仕事を取りに行こうとする人はいない。

給料が変わらないのだから、クビにならない程度にできるだけ楽に時間を過ごすというのが、ケニアの雇われ側のマインドである。仕事を得ることすら難しい社会では、ある意味「仕事に就く」ことがゴールなので、就職してしまえば自己研鑽は不要だ。

だから、私が何かを教えようとしても、教えられる側にとっては「追加の業務」であり、次の仕事に活かそうとか、昇進のために知識やスキルを磨こうとすることはない。それどころか、「仕方ないから教えられてやろう」というマインドの者も多い。

もう一つの理由は、彼らのプライドが高いことだ。彼らは決して自分の無能さを認めようとはせず、日本から来た若い人に教えられることなど1つもないと思っている。貧しいゆえの閉鎖的な社会が、新しい技術の情報を阻害していて、今のやり方が唯一かつ最適だと考えている人も多い。

もし外国の情報に触れていたとしても、彼らは極端に保守的であり、やり方を変えることをとても嫌がる。そこに採算性の考え方はなく、変化がどれだけ自分の労力に影響するかを感覚的に判断することでしか物事を決められない。

毎日のようにモノや金を要求してきたり、物を売る度に値段をごまかしてきたりする割に、こうしたプライドだけは一丁前なので、日本人の感覚からするとひどく失礼に感じてしまう。正直なところ、こうしたケニア人の側面がとても嫌いで、最後まで彼らを尊敬することはできなかった。

ナンディヒルズでのミーティングの様子
ミーティングが外で行われることもある。

このような苦労は、どこの国で働くにしても少なからずあるのだと思う。しかし、極端に貧しく汚職が酷いと言われるケニアだからこそ、特有の大変さがあったことは確かだろう。

正直、ここまでの苦労を経験した自分にとって、海外で働くことが適しているのかは分からない。しかし、なんだかんだ言っても、こんな経験は誰でもできるわけではないし、日々あり得ないことに出くわすのは刺激的で面白かったなと思う。

今後もこの経験を活かして、世界のどこかで新たな刺激を得られる仕事に出会いたいと願っている。

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Posted by Terabow42