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アウシュビッツ強制収容所に行って考えたこと

2025年3月22日旅行,海外旅行旅行,海外旅行

アウシュビッツ強制収容所に行って考えたこと

こんにちは!てらぼーです。
ヨーロッパ旅行最後の国ポーランドに入国した私は、鉄道でクラコフに入り、ついにずっと見ておきたかった場所に来ることができました。

▽クラコフの記事はこちらから▽

その場所は、かの有名なアウシュビッツ強制収容所。そもそも今回の旅の目的地をヨーロッパにした理由は、どうしてもここを訪れたかったからでした。

念願の場所についに足を運ぶことができたので、感じたことを綴っていきたいと思います。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

オシフィエンチムまで

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館(Miejsce Pamięci i Muzeum Auschwitz-Birkenau)があるオシフィエンチム(Oświęcim)は、古都クラコフ(krakow)から行くのが便利です。

Krakow Glowny駅

クラコフ駅(Krakow Glowny)のバスターミナルから直通のバスが出ています。私は心配だったので、前日にチケット売り場で前売り券(片道PLN22≒\900)を購入しましたが、当日バス停に行っても問題なく買えそうでした。

帰りは何時になるかわからなかったので、Webサイトで乗車直前に購入しました。運航頻度は1時間に1本くらいの本数で、1時間半くらいで博物館前に到着します。

クラコフからアウシュビッツまでのバス

ここは子供の時からずっと来たかった場所だったので、迷うことなく有名な日本語ガイド中谷さんに案内を依頼しました。というのもこの博物館はガイドが説明する前提で作られており、案内板などはあまりありません。

あらかじめ言っておくと、ガイドなしの入場料は無料(事前予約必須)ですが、€35払ってでも絶対にガイドをつけて入場することをお勧めします!中谷さんのガイドは大人気なので、だいぶ前から予約しておく必要がありますが、もし予約を取れなかったら別言語でもガイドをつけるべきだと思います。おそらくガイドなしでは、博物館が持つ価値の半分も理解できないことでしょう。

アウシュビッツ博物館の入り口

空港並みの荷物検査を受けた後、中に入場していきます。グループは20~30人ほどでしたが、全員にトランシーバーが配られ、中谷さんの声をしっかり聴くことができるので、とても分かりやすかったです。

この博物館は大きくアウシュビッツ(第1収容所)ビルケナウ(第2収容所)の2か所に分かれており、まずはアウシュビッツから見ていくことになります。*当時はモノビッツ収容所(第3収容所)まであった。

第一収容所の入り口

アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所は一番初めに作られた収容所で、有名な「働けば自由になる(Arbeit macht frei)」と書かれた門があります。よく見ると、"B"の文字が反転しています。

アウシュビッツの門

中はレンガ造りの建物と並木が整然と立ち並んでいて、一見恐ろしいことが起きていたとは思えない光景です。建て替えが進んだものもありますが、当時からこのような景色だったのだとか。

各棟には当時の囚人の生活や展示品が残されていて、囚人たちがいかに過酷な環境で生き抜いていたかをまざまざと見せつけられます。

アウシュビッツ収容所の内部

捕らえられた囚人たちは、家を出るときに鞄一つ分の持ち物を持っていくことが許されたそうですが、ここに到着するときに結局すべて没収されたのだそうです。

特に働き手になりそうもない女性や老人、障がい者や子供などはそのままガス室送りとなりました。残された一部の持ち物は生々しくこの博物館に残されています。

囚人から回収された物品

収容所の周囲は見張り台と高い壁、電気の流れる有刺鉄線に囲まれており、脱走は非常に困難でした。今でも当時の環境がそのまま残されています。

当時ここに連れてこられた人たちは、唯一の抵抗として自分ができる最高な持ち物を身に着けてここに運ばれてきたのだとか。その抵抗も空しく、高いハイヒールやアクセサリーはすべてナチスに没収されてしまったそうです。

アウシュビッツの周囲の鉄線

第一収容所にはガス室がほぼそのままの姿で残されています。よく見ると壁には爪でひっかかれた痕が残っており、その苦しみは想像もつきません。

ここで多くの罪なき人々が亡くなっていったと思うと、人間が持つ残酷な一面に恐怖を覚えました。

アウシュビッツのガス室

ビルケナウ強制収容所

その後、バスで10分ほど移動してビルケナウ収容所(第2収容所)に向かいました。理不尽に捕らえられた囚人たちはこの死の門をくぐって、貨物列車で運ばれてきました。

ビルケナウ収容所の死の門

ここはできるだけ効率的に人を殺すことを目的とした収容所で、流れ作業で人々を抹殺できる巨大なガス室と焼却炉がありました。

人々は貨物列車から降りた後、ナチスの軍医による"選別"が行われたといいます。ほとんどの人はガス室送りを宣告され、シャワーを浴びると言われたまま亡くなっていきました。

ビルケナウに囚人たちを運んだ貨物列車

第2収容所には第1収容所よりはるかに大きいガス室があったそうですが、終戦間近にナチスが証拠隠滅のために爆破をしたことで瓦礫だけが残されています。

ナチスはユダヤ人の絶滅を目指していたため、子供たちも容赦なく流れ作業によって殺されていきました。実際にはチクロンBという猛毒の缶を投げ入れて窒息死させるわけですが、カモフラージュのためにガス室にはシャワーの蛇口も取り付けてあったそうです。

第2収容所のガス室

一方、ガス室を免れた人々も当然過酷な運命を辿りました。冷たいベッドが立ち並ぶ暗い収容棟に入れられ、粗末な食事と服装で氷点下20度の環境に耐えなければなりませんでした。

多くの人は2~3か月すら生き抜くことは困難だったそうです。餓死や凍死に加え、勤務中の事故死や銃殺によって命を落とした人々もいて、想像できないほど残酷な扱いをされていました。

ビルケナウ収容所の収容棟

ここに来るまでにあらかじめ勉強したり関連映画を観ていったつもりでしたが、実際に行ってみると知らないことだらけで、現地に行って自分自身で足を運ぶ重要性を再認識しました。

この時代だからこそ、経験から学び、同じ歴史が繰り返されないよう注視しなくてはなりませんね。

ビルケナウ収容所の景色

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Posted by Terabow42