JICA海外協力隊として後悔しないための心構えとは
<コラム第9回:JICA海外協力隊として後悔しないための心構えとは>
JICA海外協力隊として途上国で過ごす2年間というのは、長いようで短いものである。いや、もちろん任期中はそれなりの試練に打ちのめされて、何度も「早く帰国したい」と思わされるのが多くの隊員が通る道だ。
しかし、CMや中吊り広告で見るような隊員のキラキラとしたイメージとは対照的に、充実した活動ができたと実感して帰国できる隊員はごく稀である。というのも、ほとんどの隊員にとって最初の一年間は試行錯誤の時間に充てることとなり、その間思い通りに活動できている隊員はかなり少ない。それどころか、何もできないまま全ての期間を終えることになってしまう隊員が半分以上なのではないだろうか。
原因は様々なのでそれについては別記事を見てほしいのだが、その中の一つに「慣れることに時間がかかりすぎる」という課題があると思っている。途上国というのは、旅行で行くような国々とは常識や慣習が全く違うことが多く、とにかく順応に時間がかかるのである。
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かくいう私も順応に時間がかかった一人だった。派遣前の私は海外に20か国以上行った経験があり、そのうち1カ月以上の滞在も複数回あったため、人並みには海外に慣れている自負があった。しかし、それまで行った国々とは順応の難易度ははるかに異なり、最初はその貧困や不便さにかなり打ちのめされた。
今思えば、大した問題ではなかったことやちょっとした工夫で改善できたと思うことは多い。しかし、当時は感染症拡大の影響で隊員仲間が少なく周りに頼れる人がいなかったこともあり、効率的に解決できなかった問題も多かった。
これから派遣される隊員や途上国で働く方の中には大きな不安を持っている方もいるだろう。そんな方にはできるだけ早く環境に適応し、有意義な活動期間ができるだけ長くあってほしい。
そんな思いで、私がケニアに来て後悔した経験をもとに、「こうしていればもう少し早く適応できた」と思ったことを綴りたいと思う。
先輩隊員に頼る
どの国に派遣されることになったとしても、派遣国が開発途上国である以上、日本との大きな違いに驚くことになるだろう。JICA海外協力隊が派遣される多くの国は、先進国の常識が通用しない。
20か国以上を訪れた私にとっても、特にケニアはこれまで訪れたどの国とも比較にならないほど衝撃の連続だった。経験したことのない貧しい国で生活するのは想像以上に過酷である。
こうした貧困国で生活する上で、少しでも生活水準を保つために重要なのが“情報"である。「この都市のどのレストランが美味しい」とか「この年のこのスーパーマーケットでは日本食材が手に入る」とか「この都市に行くにはこの交通手段がベスト」とか、細かい知識が生きていくために重要になってくる。
そして、有益な情報を一番持っているのが、過酷な状況で既に生き抜く術を持っている先輩隊員たちである。私も、先輩隊員たちには本当にお世話になった。
赴任当初は、自分たちより数カ月先に来ただけの隊員だったとしても、非常に頼もしく見えた。実際、彼らが持っている情報というのは恐ろしいほど役に立つ。日本人がケニアでぶち当たる壁は似たり寄ったりなので、すでにこうした壁を乗り越えた先輩隊員たちには莫大のナレッジが貯まっているのである。
正直なところ、JICAのボランティア事業部の人たちは、職務の性質上ほとんどその任国の事を知らない。現地人と話したり、任国の事を調べたりすることは、隊員に比べて圧倒的に少ないのである。だから、現地の常識はおろか、安全対策ですら不十分な場合もある。
そのため、ボランティアコーディネーターたちの言う事はあまり鵜呑みにしない方が良い。できるだけ先輩隊員たちに頼ることが、生活を安定させる一番の近道なのである。(彼らも赴任当初は先輩隊員たちに頼っていたので、躊躇せずどんどん絡みに行った方がよい)
謙虚さを捨て自分の意見を強く言う
日本特有の「察する」という文化はケニアでは皆無だった。だから、現地では「何も言わない=不満がない」という認識になる。
赴任当初、「現地の習慣にできるだけ倣い、彼らに敬意を払って仕事をしよう」と思っていた。だから、しばらくの間はちょっとした現地人への不満はできるだけ目を瞑って、活動するようにしていた。
しかし、そうした謙虚な姿勢は裏目に出ることになる。私が何も言わないことを良いことに、彼らは私をナメ腐るようになり、ことあるごとに金や物を要求してきたり、理不尽な要求をしてくるようになった。
結局、私が活動を進めようとしても協力的でなかったり、約束を反故にされることも多々あった。卑劣な性格で知られるケニア人固有の問題かもしれないが、私はこうした人間関係にかなり悩まされた。
私は途中でアプローチを変え、彼らへの言い方をあえてキツくしたり、不平不満は全てぶつけることにした。この変更によって、何人かからは反感を買ったが、その反面活動は順調に進み始めた。最後はほぼ命令に近かったが、彼らをなんとか動かすことに成功し最終的にミッションを達成することができた。
自分の意見をはっきり言うことは海外では至極普通の事である。最初からこのマインドを持っていれば、さらに良い結果を出すことができたかもしれないと少し後悔している。
ストレスのはけ口を作る
途上国での生活はとにかくストレスがたまる。ケニアに関しては、何を食べても美味しくないし、とにかく不便で電気や水も頻繁に止まる。何よりケニア人の性格は極悪非道で、街を歩いているだけでイライラが募る一方だった。
こんな時に自分を助けてくれたのは、日本から持参した娯楽だった。ケニアの娯楽の少なさはある程度予想していたものの、想像以上だった。田舎町での娯楽と言えば、汚いビリヤード場と家庭用サイズのテレビで観るサッカーのパブリックビューイングくらいだ。
こうした環境で、持参した娯楽は大活躍した。よく使っていたのは、楽器・プロジェクター・ルービックキューブ・詰将棋本などである。
もちろん各個人の趣味に応じて用意してほしいのだが、持ってくるものを決める上で重要なのは「長時間楽しめる」かつ「生活インフラがなくても楽しめる」ことだ。私が持ってきたものは、もし電気や水・インターネットが止まっても、長時間使うことができた。
一方で、こうしたものは途上国で手に入れることが比較的難しいため、派遣前に自分の生活を想像して準備しておくことが大切である。
また、何より、他の隊員の存在は私にとってストレスを緩和する上で何より大事だった。相談がしたいときにいつでも電話やチャットができ、どんなことでも聞いてくれる隊員たちは何よりイライラの緩和剤だった。任地にたった一人で派遣され、孤独感に苛まれる隊員にとって、気軽に話せる存在というのはとても重要だと思う。
期待値をできるだけ低く
途上国で過ごすうえで最も重要なのが、「期待しない」ことかもしれない。ケニアで過ごしてみて感じたのは、ほとんどの国は日本のようにきっちりしていないということである。
特にケニアでは、約束や時間は決して守られることはなく、仕事に対するモチベーションや能力は著しく低い。ある程度想像していたことではあったが、その想像をはるかに超えるほどだった。
そもそも教養レベルが違いすぎるため、会話もままならないのである。私の任地ではピザやディズニーすら知っているものはほとんどおらず、情報の取捨選択すらできないので陰謀論を信じてしまったり、九九すら言えないレベルだった。
首都でまともな人たちと働くならともかく、JICA海外協力隊はこうした末端の人たちと生活を共にするケースが多く(それこそが魅力でもある)、こうした壁にはほとんどの人がぶち当たるだろう。
しかも、ケニア人は何か仕事に関する不安を尋ねても「問題ない」とか「順調だ」とか平気で嘘をつく。結果的に成果物の質が低かったり、期限に間に合わないことが多い。
私も最初は「なんでこんな簡単なこともできないのだろう」とか「なんで息を吐くように嘘をつけるのだろう」と不思議だったが、これらは彼らに染みついているものであり、まともに対話することは不可能だと気づいた。
それからというもの、彼らに期待することはやめ、相手を乳幼児だと思って付き合うことにした。そうしたら、幾分か気が楽になったし、赤ちゃんならこんなもんかと納得できるようになった。
そもそもJICAとして協力隊に期待していることは任期の満了だけであり、結果は求められていない。だから、案件もテキトーに作られて、テキトーにボランティアが割り当てられる。そのため、配属先に行ってみたら全くボランティアが必要とされていないというのは“協力隊あるある"だ。
こうした事業に莫大なODA予算が割り当てられていることに違和感はあるものの、裏を返せば「結果が求められない分、気軽に活動すればよい」ということなんだと思う。現地にどんな課題があって、どんな人たちと仕事するのかは配属されるまで分からない。だから、現地に行くまでは何も期待せず、深く考えずに楽しむつもりで構えていれば良いと思う。
途上国での悩みというのは、先進国のそれとは全く異なるものであり、それを乗り越えても自分の知識やスキルには結びつかない。身につくものがあるとしたら、メンタルが鍛えられるくらいである。
日本で出くわす悩みとは比較にならないほど大したことない場合がほとんどで、そんな小さいことにくよくよ悩むのも時間と労力の無駄だ。ぜひ前述の内容を参考に自分なりの対応策を見つけ、できるだけ早く任国で順調な活動ができる準備を整えて欲しい。
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