フォローする

JICA海外協力隊に国ガチャはあるのか

コラム,青年海外協力隊コラム,青年海外協力隊

JICA海外協力隊に国ガチャはあるのか

<コラム第3回:JICA海外協力隊に国ガチャはあるのか>
JICA海外協力隊事業は1965年に始まって以来、90カ国以上の国と地域にボランティアが派遣されてきた。派遣前の訓練で集った同期たちも、今では世界中で活動を続けている。

任地に配属されると、決して恵まれているとはいえない途上国の環境下、母国語ではない言語でコミュニケーションを取りながらたった一人で活動しなければならない。こうした状況下で働くことは、人によって差はあれど、少なからずストレスを感じる場面は多い。そして多くのJOCVは、たまにオンラインで話す別の国の同期に、日々の不満を愚痴るのである。

こうして他国や他地域の同期と話すと、どうしても隣の芝は青く見えてしまうものである。私自身、何度も「ケニアが活動地になってしまって運が悪かった」と思ったこともある。逆に、「この国に比べればマシだった…」と思わされたこともある。

結局ないものねだりではあるものの、国が違えば環境が大きく異なることも事実である。今回は、そんな活動国の違いが生活にどんな影響を及ぼすのかについて考えてみたい。

派遣国はどう決まるか

タイトルで"国ガチャ"という言葉を使ってしまったが、JICA海外協力隊の派遣国は本当に自分自身で選べないのだろうか。答えは"Yes"ともいえるし、"No"ともいえる。

というのも、協力隊に応募するときには希望する要請を3つまで応募用紙に書くことができる。国の希望があれば、まずは応募用紙にその国の要請のみ書けば良いのである。そして、書類選考後の面接に進むと面接官から「希望の要請以外の派遣となっても良いか」を聞かれる。その時にも、希望を伝えればできる限り意向に沿った選考をしてくれるはずだ。

ただ、当然のことながら条件を絞れば絞るほど合格は難しくなる。私の同期の中には「○○(国名)でなければ行きません」と言ってその国の要請に合格した人もいることはいたが、かなり少数派だ。そもそも多くの応募者が志願した理由は「特定の国に住みたいから」ではないため、ほとんどの人は国の希望を伝えず選考に臨むことが多い。応募者と活動要請のマッチングをする以上、合格しても第3希望までの要請にならないことがほとんどである。

ちなみに、私の例を挙げると英語力を上げたいという目的があったため「特定の国の希望はないが、英語圏にしてほしい」と伝えた。その結果、第3希望までに記載していた全ての要請には引っかからず、ケニアへの派遣が決まった。国の希望は通らなかったが、最低限の要望は通ったと言える。

周りの話を聞いていると大体みんなこんな感じだ。そのため、基本的には国名の希望を出さない限り、要望の範囲内で国ガチャとなるケースがほとんどである。

というわけで、本題である派遣国の違いについて話していきたい。先述した通り、派遣先は多岐にわたり発展度も文化も全く異なる。特に国によって差異が生まれるのが、制度面生活面である。それぞれ、他国とケニアを見て感じたことをもとに違いを見ていきたい。

制度面の差

各国のJICA事務所は、基本的に同じルールの下で動いているかと思いきや、国の情勢や生活環境に応じて異なることがある。

まず挙げられるのが、国の治安に応じた行動範囲の制約である。ケニアを例に挙げると、その治安の悪さからかなり行動が制限されている。その規則は、午後6時以降の他都市への移動禁止・特定の地域(国内の半分以上の郡)への移動禁止・首都での徒歩禁止等々、多岐にわたる。そのため、国内を移動するときのスケジュールはかなり立てにくいし、ナイロビでの移動は毎回自腹でタクシーを呼ぶ必要がある。実際に治安が悪いことは確かであり、順守することが最善策であることは間違いないのだが、やはり制約の多い生活してみるとそれなりのストレスを感じる。

一方で比較的治安が良い国では、門限や移動手段などに特に制約がない。首都を徒歩移動したり、夜に外出したりすることができるので、比較的ラクに活動範囲を広げることができるのである。

治安が比較的悪いナイロビの街並み
治安が悪いとされているナイロビの街並み

2点目として、住居面の違いが大きいこともあげておきたい。例えばいくつかの国では、セキュリティ面を考慮したうえで、JICAが隊員の住居を用意する。基本的に隊員は提示されたいくつかの候補の中から選ぶことができ、エアコンや冷蔵庫・洗濯機などの家具が備え付けとなっている場合が多い。

一方、ケニアでは住居を自ら手配しなくてはならない。自分で家の候補を探し、自分で内見し、自分で契約する。活動先の同僚に頼って住居候補を探すことが多いが、ケニア人のほとんどは卑屈なので、同僚と大家が共謀して家賃を吊り上げたり、言いがかりをつけてデポジット(自己負担)を返さないということが発生する。居住後のトラブル等が発生してもJICA側は関与しないため、自分で何とかしなくてはならない。結局こうした理由で、私を含め同期隊員の半分が任期途中で引っ越す羽目になった。(引っ越し費用は自己負担)

また、ケニアでは家具が備え付けられていることはほとんどない。JICA側が机や椅子など最低限の家具購入費を出してくれるが、全く物価調査をしていないせいなのか、指定された家具を購入するのにも全く足りない。また、全ての電化製品は家具購入費の対象ではないため、これらはすべて自腹である。こうした理由から、ケニアに派遣された隊員は他国隊員より自己負担の支出が多いと言えるだろう。

また、住居面においては隊員寮(ドミトリー)の有無も大きな違いである。パンデミック前はケニアも含め多くの国の首都にドミトリーを構えていたようだが、今では一部の国にとどまっている。ドミが存在する国では、首都に来た時に数十円という格安で宿泊できるほか、同国の隊員と会う機会が増えるため、ナレッジを共有したり、仲を深めたりすることに一役買うようだ。

ケニアにはドミがないため、ナイロビに来たときは自腹でホテルを予約する必要があるし、同期隊員以外とコミュニケーションを取れる場もほとんどない。ただ、一方でドミは古くて汚い場合もあるため、公務の時に綺麗なホテルに宿泊できるドミなし国の方が良いと考える隊員も一部存在する。

3点目の違いとして、活動報告のフォーマットもある。活動が1年間完了したときの中間報告会と全て完了したあとの最終報告会があるのは、どの国でも一緒だ。しかし、この報告会のフォーマットは国によって異なるのである。

例えばケニアでは、報告会を配属先とJICA事務所の2か所で開催する。報告資料は英語で作成し、英語でプレゼンテーションを行う。(訓練言語がスワヒリ語だった隊員も含め)

しかし、他の国では発表言語が日本語だったり、報告会がJICA事務所のみで行われるという場合もあるようだ。どちらが良いというものでもないが、報告会一つとっても国によって違いが出てくるのである。

ケニア事務所での中間報告の様子
ケニア事務所での活動報告の様子

生活面の差

他国の隊員の話を聞いていて最も違いを痛感するのはインフラ面かもしれない。特に、停電や断水が当たり前の環境に住むアフリカ隊員にとって、こうした不便さを経験したことがない中東隊員の生活はとても羨ましく感じる。水道すら通っていないケニアの田舎隊員が存在する一方で、ほとんど日本と変わらない便利な生活を送っている隊員もいるのが実情である。

一方で、こうした便利な生活を送る隊員の中には、贅沢にも「想像していた協力隊の生活とは違ったから、帰国したら講演のネタに困りそう」とか「一度で良いから停電を経験したかった」と話す者もいるので、結局はないものねだりなのかもしれない。

また、インフラが整っていたとしても、その国特有の悩みを抱える隊員も存在する。例えば、世界一暑い国と言われるジブチでは基本的に全ての物価が高いらしく、電気代も同様らしい。だから、日中の気温が45度近いからと言ってエアコンをつけっぱなしにしておくと、何十万円もの電気代が請求されてしまうとのことだ。少ない生活費で生活するボランティアにとって、これはかなり厳しいと言わざるを得ないだろう。

国によって生活必需品へのアクセスも、それぞれ全く異なる。例えば、ケニアの田舎では食べ物の種類が圧倒的に少なく、非常に質が悪い。手に入る電化製品の種類はかなり少ないし、あったとしてもかなり値段が高い。しかし、首都ナイロビはある程度発展しており、様々な外国料理のレストランや比較的新しい製品が並ぶショッピングモールなどもある。だから、最悪首都に行けば何とかなるというのが実情である。

一方で、国によっては地方都市でもナイロビより発展しており、任地でなんでも手に入るという国もある。逆に、日本食レストランが首都でも数件しかない国もある。また、宗教上の理由でお酒や豚肉が手に入らないという場合もある。こうした手に入るモノの種類は開発途上国の中でもかなり差があるようである。

ナイロビの日本食レストラン陣屋食堂
ナイロビの日本食レストラン

そして、任国外旅行のときに最も痛感したのが交通の利便性と安全性の差である。ケニアを含めたアフリカでは、定時運行する陸路の交通手段はほとんど存在しない。それどころか、定員を完全に無視した乗客数を無理やり車内に押し込み、何度も停車しながら目的地へ進む。そこには時間の概念が全く存在しない。道路の質もかなり低いため、Google Mapの予想所要時間の数倍の時間を要するのである。

交通ルールがないため、ドライバーの運転はかなり荒い。シートベルトも人数分ないし、車の整備もロクにされていないので、アフリカでの交通事故は強盗に遭遇するより恐ろしいと言ってもいいかもしれない。

一方である程度発展した国に行くと、地下鉄や高速鉄道があったり、定時運行されている陸路の交通手段があったりする。もちろん法律や人権を度外視した運航はしない。こうした光景を目にすると、移動手段の便利さと安全面は任国によってかなり差があると感じてしまう。

エジプト・カイロの地下鉄
エジプトの首都カイロでは地下鉄が開通している

ただ、なんだかんだで最も違いを感じるのは、宗教観と人間性かもしれない。ケニアの人々は、他人の事を全く気にせず、貪欲で卑屈で失礼である。アジア人を見れば「チンチョンチャーン」とバカにしてくるし、買い物をすれば金額をごまかしてくるし、少し話せばお金や食べ物を要求してくる。ほとんどがキリスト教徒の国であるが、宗教観はどこに行ったの?という人ばかりである。

一方、イスラム文化の国々では施しの文化が根付いており、逆に現地の人から与えられることの方が多いようである。しかしそれなりの苦労はあるようで、ラマダン中に大っぴらに食事ができなかったりとか、女性がヒジャブを巻いていないと変な目で見られたりとか、何をするにも男女別に行動しなくてはならなかったりとか、いろんな制約があるようだった。

国の中でも人によって性格は様々で何とも言えないが、やはり大まかな国民性というのは宗教観に根付いて形成されているように感じる。やはり活動を行う上で関わる人は現地の人なので、こうした国民性が自分と合わないとそれなりに苦労するかもしれない。

このように、JICAが派遣している国によって違いは様々である。それぞれ良い面もあれば、悪い面もある。しかし、それらは結局隊員1人1人との相性によって、受け入れられるものと受け入れがたいものがあるのも事実である。そして何よりそうした環境は行ってみないと分からないことが多い。

“国ガチャ"といえばそれまでだが、どこの国への派遣になったとしても、その場所で自分の活動や生活をどう工夫できるかが、帰国時に「国ガチャで当たりだった」と感じれるかどうかの境目なのかもしれない。

フォローする